東京地方裁判所 昭和51年(ワ)5882号 判決 1978年5月11日
原告
作美知恵子
被告
東京都
ほか一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、「被告両名は、各自、原告に対し、金三、三〇五万九、二一六円及びこれに対する昭和五一年七月二三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告両名の連帯負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告両名訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二請求の原因
原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。
一 事故の発生
原告は、昭和五一年三月七日午後〇時四分頃、東京都北区王子一丁目三番地先の被告東京都経営に係る路面電車(以下「都電」という。)荒川線の王子駅の三輪橋行ホーム(以下「本件ホーム」という。)から三輪橋行軌道の軌道敷(以下「本件軌道敷」という。)に転落し、折柄、本件ホーム早稲田寄りの降車客停止線から発進し進行してきた被告春日一男(以下「被告春日」という。)の運転する三輪橋行都電(以下「本件都電」という。)に右足首を轢過され、右下腿挫滅離断創及び頭部打撲の傷害を受けた。
二 責任原因
被告春日は、本件都電を運転し、本件ホーム沿いに進行中、乗客が本件ホームから本件軌道敷に転落し、若しくは本件軌道敷の横断を図ることも予想しえたのであるから、十分前方を注視しながら進行すべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、原告が本件ホームから本件軌道敷に転落し、傍らにいた原告の父作美正勝(以下「正勝」という。)が右手を振つて停車を求めているのを看過し、漫然、本件都電を進行させ続けた過失により、本件事故を惹き起こしたものであるから、民法第七〇九条の規定に基づき、また、被告東京都は被告春日を都電運転手として使用しているところ、本件事故は、被告春日が被告東京都の事業の執行として本件都電を運転中、前記過失により惹き起こしたものであるから、同法第七一五条第一項の規定に基づき、各自、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。
三 傷害の部位及び程度等
原告は、本件事故により、右下腿挫滅離断創及び頭部打撲傷の傷害を受け、本件事故当日から昭和五一年五月三一日まで八六日間原外科病院に入院し、断端形成術、義足装着を受け、同年六月一日から同月三〇日まで(実日数にして二日)同病院に通院して治療を受けたが、下腿骨九センチメートルを残して右下腿ほぼ中央部において右下腿下部を離断亡失したもので、右は自動車損害賠償保障法施行令別表の後遺障害等級表第五級に該当する。
四 損害
本件事故により原告が被つた損害は、次のとおりである。
1 治療関係費
原告は、前記傷害の治療のため、金五二万七、六三〇円の治療費を支出し、日本交通健康保険組合から金一九万六、九三八円の払戻しを受けてその差額金三三万六九二円を負担したほか、附添看護料として金一七万二、三七九円、入院一日当り金五〇〇円の割合による八六日分の入院雑費金四万三、〇〇〇円及び交通費金二万一、〇三〇円、以上合計金五六万七、一〇一円の治療関係費を負担し、同額の損害を被つた。
2 逸失利益
原告は、本件事故当時四歳(昭和四六年七月三日生れ)の女児で、本件事故による前記後遺障害のため、生涯、労働能力の八〇パーセントを喪失したもので、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳に至るまで稼働しえて、この間年額金一四五万二、九九〇円(労働大臣官房統計情報部編昭和五〇年度賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表、産業計・企業規模計・旧中新高卒・全年齢計女子労働者の平均賃金年収額金一三八万三、八〇〇円に昭和五一年度の平均賃金年収額の対前年度増加率五パーセントを加算した額)を得ることができたはずであるから、以上を基礎とし、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の本件事故による逸失利益を算定すると、金二、〇九五万二、一一五円となる。
3 慰藉料
原告は、本件事故により、約三か月の入院及び約一か月の通院を余儀なくされ、更に、前記の後遺障害が残つたことにより生涯を不具の身として送らなければならなくなり、甚大な精神的苦痛を被つたところ、これに対する慰藉料は、入・通院分として金七〇万円、後遺障害分として金八八四万円が相当である。
4 弁護士費用
原告は、被告両名が本件事故による賠償金を任意に支払わないため、やむなく、原告訴訟代理人に本訴の提起、追行を依頼し、報酬等として金三〇〇万円の支払を約した。
五 よつて、原告は、被告両名各自に対し、前項1ないし4の損害金合計金三、四〇五万九、二一六円の内金三、三〇五万九、二一六円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和五一年七月二三日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三被告両名の答弁
被告両名訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。
一 請求の原因第一項の事実は、認める。ただし、本件事故の発生時間は、正確には午前一一時五八分頃である。
二 同第二項の事実中、被告東京都は被告春日を都電運転手として使用しているところ、本件事故は、被告春日が被告東京都の事業の執行として本件都電を運転中発生したことは認めるが、その余の事実は否認する。
被告春日は、三輪橋行の本件都電を運転し、本件ホーム早稲田寄りにある降車客停止線で降車客の取扱いを終え、そこから四七メートル三輪橋寄りにある乗車客停止線に向けて発進し、約四・六メートル進行した地点で、約一六・六メートル前方の本件ホームの軌道敷側が〇・三メートル程度弓形にえぐられている部分の本件ホーム側端から約〇・三メートル付近に原告が本件都電の方を向いて佇立しており、また、その約一・六メートル右斜後方に正勝が原告の方を向いて佇立しているのを認めたが、危険を認めなかつたことから、時速約一〇キロメートルで進行し続け、原告の直前まで進行したところ、突然、被告春日の約二メートル左斜前方で原告が本件都電の方によろめき、正勝がこれを抱き止めようとしているのを認め、直ちに急停止の措置を採つたが、間に合わず、本件事故が発生したものであるから、本件事故を回避することは不可能であつて、同被告には、本件事故につき何らの過失もない。
三 同第三項の事実中、原告がその主張の期間原外科病院に入院し、その主張の手術を受け、義足を装着したことは認めるが、その余は知らない。
四 同第四項の事実は、知らない。
第四証拠関係〔略〕
理由
(事故の発生)
一 原告主張の日の午前一一時五八分過ぎ頃、被告東京都経営に係る都電荒川線王子駅の本件ホームから原告が本件軌道敷に転落し、折柄、本件ホーム早稲田寄りの降車客停止線から発進進行してきた被告春日の運転する本件都電に右足首を轢過され、右下腿挫滅離断創及び頭部打撲傷の傷害を受けたことは当事者間に争いがないので(なお、本件事故発生時刻は、被告春日本人尋問の結果によると、上記のとおり認められる。)、以下、本件事故発生の状況等につき審究するに、成立に争いのない甲第三号証、第一八号証ないし第二一号証及び乙第一、第二号証並びに被告春日及び原告法定代理人正勝本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると(甲第三号証及び第二〇号証の各記載並びに原告法定代理人正勝本人尋問の結果中、後記措信しない部分を除く。)、(一) 本件ホームは、全長約六五メートル、幅約四・六メートル、三輪橋方向に向かつて右側にある本件軌道敷からの高さ約〇・四メートルで、アスフアルト舗装され、早稲田寄りから三輪橋寄りに極めて細長い長方形をなし、早稲田側は明治通り沿いの横断歩道にゆるやかな傾斜をなして接し、その接点(以下「早稲田側側端」という。)から三輪橋側に三五・二五メートルから四七・七メートルの間の本件軌道敷側は最深部〇・二五メートル程度弓形にえぐれ(以下、このえぐられた部分を「本件ホーム凹部」という。)、本件ホーム軌道敷沿いには幅〇・二メートルの白線が引かれ、早稲田側側端から一八・三メートル付近には〇・二メートル幅の降車客停止線が、その四七メートル三輪橋寄り付近には同様の乗車客停止線が設けられ、三輪橋行都電は、降車客停止線にその前部を停止して降車客の扱いをなし、次いで、乗車客停止線まで進行して乗車客の扱いを行うこととなつており、また、三輪橋行軌道の軌条間距離は一・四三メートルで、本件ホーム寄り軌条と本件ホーム凹部最深部との間隔は〇・七五メートル程度あつて、本件軌道敷は、早稲田側側端から約八・七メートルの間はアスフアルト舗装され、その三輪橋寄りは御影石の敷石となつていること、(二) 本件事故現場は、降車客停止線から約二二・四メートル三輪橋寄りの本件軌道敷で、同所付近は本件ホーム凹部の最深部の手前に当たるところ、原告(本件事故当時四歳八か月)は、父正勝と行楽の帰途、本件ホームから三輪橋行都電に乗車するため、降車客停止線の約二二・三メートル三輪橋寄りの本件ホーム凹部側端から約〇・三メートル奥付近(通過予定都電の車体側端から〇・七メートル付近)に立ち止まり、降車客停止線から発進してくる三輪橋行の本件都電の方を見ていた(正勝は、原告の約一・五五メートル右斜後方に立ち止まつて原告の方を見ていたが、同人は、当時、三輪橋行都電の乗車位置を知らなかつた。)が、本件都電の前部が約〇・五メートルに迫つた際、突然、本件ホーム凹部と本件都電との間に足部から落ち、本件都電の前部台車の左前輪(第四車輪)に右足首を轢過されたこと、(三) 被告春日は、本件都電(車体幅約二・二メートル、車長約一二・三メートルで、前部中央に運転席のある半鋼製ボギー電動客車)を運転し、本件ホーム降車客停止線で停止し、運転席横の扉で降車客の客扱いをした後、扉を閉め、左手をコントローラーに、右手を空気ブレーキに置き発車待機の姿勢で進路前方の安全を確認しながら、車掌の発車振鈴を待ち、振鈴二回の発車合図を受けて発進し、二ノツチで進行し、約五メートル進行した際、本件ホーム凹部の奥〇・三メートル付近に立ち本件都電の方を見ていた原告とその約一・五五メートル右斜後方で原告の方を見ていた正勝を本件ホーム上に認めたが、通常の乗客の待機位置と比較して格別危険とは考えられなかつたことから、そのまま進行し、時速約一〇キロメートルに加速後、電源を切り、惰力で走行し、本件都電前部が原告の約〇・五メートル手前に差しかかつたところ、突然、同被告の約二メートル左前方に位置していた原告の上半身が本件都電の方によろめき、正勝が両手を伸ばして止めようとしたのを認め、危険を感じ、直ちに空気ブレーキを非常ブレーキに入れて急制動措置を採つたが、第四車輪で原告の右足首を轢過し、約一一・四メートル進行して停止したこと、(四) 本件事故後、本件事故現場付近の本件ホーム寄り軌条の本件ホーム側の本件軌道敷には、右軌条に接し、幅約四センチメートル、長さ約一三センチメートルの足跡様の擦過痕が残つていたが、本件事故現場付近のその余の本件軌道敷部分には本件事故と関係があるとみられる擦過痕等の痕跡は認められず、また、本件都電第四車輪の軸箱及び軸箱モリ控土並びに前部台車下揺マクラの部分の土が擦られた痕が残つていたが、正勝の着衣が本件都電と接触したことはなかつたこと、以上の事実を認めることができ、前掲甲第三号証及び第二〇号証の各記載並びに原告法定代理人正勝本人尋問の結果中には、右認定と異なり、原告主張の事実を窺わしめる部分があるが、叙上認定に供した各証拠に照らし、にわかに措信できず、その他右認定を覆すに足る証拠はない。
(被告両名の責任の有無について)
二 前記認定の本件事故現場の状況及び本件事故発生の状況に徴すれば、被告春日において、本件事故の発生を予見し、また、これを回避することはおよそ不可能であつたものというべきであり、他に本件事故につき同被告に過失のあつたことを認むべき証拠はないから、同被告には、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任はなく、したがつて、被告東京都にも、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任はないものというべきである。
(むすび)
三 以上の次第であるから、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないものというほかない。よつて、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 武居二郎 島内乗統 信濃孝一)